銀座、有楽町 [駅]
本日は、銀座へ。
その帰りに、ソニービルで、スパイダーマンを撮影。
そういえば、ソニービルの前にあったビルはすっかりなくなっていました。
その後、有楽町へ。
有楽町を通過する新幹線です。
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その帰りに、ソニービルで、スパイダーマンを撮影。
そういえば、ソニービルの前にあったビルはすっかりなくなっていました。
その後、有楽町へ。
有楽町を通過する新幹線です。
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四谷 [駅]
金曜日は、仕事の関係で四谷へ行きました。
これまで、四谷にはあまり来る事が無かったので、この辺りは何があるのかよく知りません。
何となく、JR中央線を撮影してみました。
この通り、3本しか線路がありません。
この辺りは、中央線は快速と緩行が並走していますので、本来ならば4本なければなりません。
もう一本は、こちらです。
どうやら、こちらの方が古そうです。
アップにしてみると、旧御所トンネルと書いてあります。
ちょうど、この先には、迎賓館があります。
地図で確認すると、正確には記載されていませんが、この線路は、右にカーブしながら迎賓館の門の辺りを地下で通過している様です。
上を走るのは、地下鉄丸ノ内線、下を走るのが、中央総武線の緩行列車です。
ちょっと考えると不思議な光景です。
本来、地下を走る地下鉄の駅が地上にあり、しかも、その駅は地上を走るJR線の上にあります。
この辺りは、谷になっていて、そこに駅を作った為にこの様な構造になったものと思われます。
ちなみに、最後に出来た、南北線の四谷駅は、さらにこの下にあり、こちらは、完全に地下になっています。
帰りは、ちょっと寄り道して、こんなものに遭遇しました。
トレーラーの荷台が全面広告になっていて、大音量で音楽を流しながら、付近を走行していました。
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これまで、四谷にはあまり来る事が無かったので、この辺りは何があるのかよく知りません。
何となく、JR中央線を撮影してみました。
この通り、3本しか線路がありません。
この辺りは、中央線は快速と緩行が並走していますので、本来ならば4本なければなりません。
もう一本は、こちらです。
どうやら、こちらの方が古そうです。
アップにしてみると、旧御所トンネルと書いてあります。
ちょうど、この先には、迎賓館があります。
地図で確認すると、正確には記載されていませんが、この線路は、右にカーブしながら迎賓館の門の辺りを地下で通過している様です。
上を走るのは、地下鉄丸ノ内線、下を走るのが、中央総武線の緩行列車です。
ちょっと考えると不思議な光景です。
本来、地下を走る地下鉄の駅が地上にあり、しかも、その駅は地上を走るJR線の上にあります。
この辺りは、谷になっていて、そこに駅を作った為にこの様な構造になったものと思われます。
ちなみに、最後に出来た、南北線の四谷駅は、さらにこの下にあり、こちらは、完全に地下になっています。
帰りは、ちょっと寄り道して、こんなものに遭遇しました。
トレーラーの荷台が全面広告になっていて、大音量で音楽を流しながら、付近を走行していました。
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溝ノ口駅前ストアー 溝の口探検のおまけ [駅]
先日の溝の口探検で、もうひとつ想い出の場所をご紹介します。
それは、「溝ノ口駅前ストアー」です。
南武線の武蔵溝ノ口駅から川崎方面へ向かう、南武沿線道路沿いに昔からあるのが、
「溝ノ口駅前ストアー」です。
南武線の線路と、道路のわずかな間に建てられた商店街で、未だに健在でした。
正面から見ると、まともな商店街です。
横から見ると、奥行きがないことがわかります。
それでも、営業している店がほとんどです。
ちなみに、大きな看板の本屋は、このストアの正面にある、文教堂の本店です。
文教堂は、昔は、「島崎文教堂」と言って、駅前のやすとも商店街にあった、小さな本屋だったのですが、今では、日本最大の直営書店チェーンとなっています。
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それは、「溝ノ口駅前ストアー」です。
南武線の武蔵溝ノ口駅から川崎方面へ向かう、南武沿線道路沿いに昔からあるのが、
「溝ノ口駅前ストアー」です。
南武線の線路と、道路のわずかな間に建てられた商店街で、未だに健在でした。
正面から見ると、まともな商店街です。
横から見ると、奥行きがないことがわかります。
それでも、営業している店がほとんどです。
ちなみに、大きな看板の本屋は、このストアの正面にある、文教堂の本店です。
文教堂は、昔は、「島崎文教堂」と言って、駅前のやすとも商店街にあった、小さな本屋だったのですが、今では、日本最大の直営書店チェーンとなっています。
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大宮でがってん承知 [駅]
先日、大宮でのイベントの帰りに、駅前を散策しました。
ソニックシティのあるサイドは、何度か来ています。
こちら側は、再開発されて、ビルが建ち並んでいます。
それに比べて、反対側は、駅前にこの様なアーケードがあります。
何となく、怪しい雰囲気です。
中を通り抜けてみると、やはり飲食店関係が多く並んでいます。
何件かは、飲み屋が既に営業しているようです。
その横にも、同じ様な小道が複数あります。
おなかが空いたので、昼食には、寿司が食べたくなりました。
と、見覚えのある看板が。
地元では、ちょっと高めの回転寿しとして有名な、注文すると、店員が「がってん承知」というお店です。
まあ、ここならいいやと入ってみると、以外にも、普通の寿司屋の雰囲気です。
カウンターがあり、テーブル席があり、しかも、お寿司は回っていません。
カウンターに座って、ランチを注文。
ついでにビールも。
ランチの握りは、1.5人前を注文したので、満腹になり、もう注文出来ません。
ほんのりと酔いが回り、店を出て、暫くぶらぶらしてみると、この様な小道も発見。
しかも、ご丁寧に、柱にも表示が。
ありゃ、この通りの方が、寿司屋が多そうです。
しかも、ランチタイムは安そうだし。
大宮駅に戻ってきました。
こちら側は、何故か、高い建物がほとんどありません。
妙に、駅前広場が広いのが目立ちます。
武蔵浦和に戻ってきました。
武蔵野線のホーム上に、顔識別機能付きの自動販売機があったので、遊んでみました。
この販売機は、カメラで、顔を識別して、お薦めの飲み物を教えてくれます。
で、私の場合、こちらです。
何度やっても、リポビタンビズをすすめられました。
疲れたサラリーマンに見えたという事でしょうか。
まあ、外れてはいませんが・・・。
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ソニックシティのあるサイドは、何度か来ています。
こちら側は、再開発されて、ビルが建ち並んでいます。
それに比べて、反対側は、駅前にこの様なアーケードがあります。
何となく、怪しい雰囲気です。
中を通り抜けてみると、やはり飲食店関係が多く並んでいます。
何件かは、飲み屋が既に営業しているようです。
その横にも、同じ様な小道が複数あります。
おなかが空いたので、昼食には、寿司が食べたくなりました。
と、見覚えのある看板が。
地元では、ちょっと高めの回転寿しとして有名な、注文すると、店員が「がってん承知」というお店です。
まあ、ここならいいやと入ってみると、以外にも、普通の寿司屋の雰囲気です。
カウンターがあり、テーブル席があり、しかも、お寿司は回っていません。
カウンターに座って、ランチを注文。
ついでにビールも。
ランチの握りは、1.5人前を注文したので、満腹になり、もう注文出来ません。
ほんのりと酔いが回り、店を出て、暫くぶらぶらしてみると、この様な小道も発見。
しかも、ご丁寧に、柱にも表示が。
ありゃ、この通りの方が、寿司屋が多そうです。
しかも、ランチタイムは安そうだし。
大宮駅に戻ってきました。
こちら側は、何故か、高い建物がほとんどありません。
妙に、駅前広場が広いのが目立ちます。
武蔵浦和に戻ってきました。
武蔵野線のホーム上に、顔識別機能付きの自動販売機があったので、遊んでみました。
この販売機は、カメラで、顔を識別して、お薦めの飲み物を教えてくれます。
で、私の場合、こちらです。
何度やっても、リポビタンビズをすすめられました。
疲れたサラリーマンに見えたという事でしょうか。
まあ、外れてはいませんが・・・。
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昔への旅 溝の口西口商店街 最終回 [駅]
あまりにも長過ぎて、書く方も疲れましたので、今回にて終わります。
前回の続き。
これは、看板の裏側でした。
要は、ここからが西口商店街のもう一つの入り口でした。
一部は、跨線橋に食い込んだ形で残っています。
正確には、アーケードが先にありましたので、それを避ける様に跨線橋が設置されたのです。
反対側から見ると、立派な看板です。
そして、かつての、西口商店街を進むと、南武沿線道路に突き当たります。
かつては、この道路はなく、この辺りも西口商店街が続いていました。
この辺りに、大盛りで有名な「七ふく」があったはずです。
南武沿線道路を渡って、かつての西口商店街のもう一つの入り口方面から眺めた風景です。
この辺りは、かつての面影はありません。
こんな看板を見つけました。
これが、現在の西口商店街の全貌です。
南武沿線道路の完成により、約1/4は立ち退きを余儀なくされて、なくなってしまった様です。
その後、火災により、1/3がなくなってしまった様です。
かつての、西口商店街を先ほどの地図に表してみました。
水色で囲ったエリアが、かつての西口商店街の全てです。
今回の記事を書くにあたり、いろいろなサイトやブログを参考にしています。
順不同で、ご紹介します。
http://yaplog.jp/komawari/archive/501
http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/blog/2004/01/post_6.html
こちらのブログには、2004年1月25日 (日曜日)の写真があります。
火事になる前の西口商店街がわかる、唯一の写真です。
http://blogs.yahoo.co.jp/momospin/52636927.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bluestars_original/21064925.html
http://yamiichiyokocho.cho-chin.com/mizonokuchi.html
http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/49903193.html
こちらのブログでは、この商店街が用水路の上に建っていた事がよくわかる写真が掲載されています。
http://arizo02.exblog.jp/2527386/
http://170times.jp/ate/archive/2007/03/28.php
http://hayashida.jp/o/2007/02/post-1023.html
http://www.geocities.jp/hxjbm664/mizonokuti/mizonokuti.htm
http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_088d.html
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前回の続き。
これは、看板の裏側でした。
要は、ここからが西口商店街のもう一つの入り口でした。
一部は、跨線橋に食い込んだ形で残っています。
正確には、アーケードが先にありましたので、それを避ける様に跨線橋が設置されたのです。
反対側から見ると、立派な看板です。
そして、かつての、西口商店街を進むと、南武沿線道路に突き当たります。
かつては、この道路はなく、この辺りも西口商店街が続いていました。
この辺りに、大盛りで有名な「七ふく」があったはずです。
南武沿線道路を渡って、かつての西口商店街のもう一つの入り口方面から眺めた風景です。
この辺りは、かつての面影はありません。
こんな看板を見つけました。
これが、現在の西口商店街の全貌です。
南武沿線道路の完成により、約1/4は立ち退きを余儀なくされて、なくなってしまった様です。
その後、火災により、1/3がなくなってしまった様です。
かつての、西口商店街を先ほどの地図に表してみました。
水色で囲ったエリアが、かつての西口商店街の全てです。
今回の記事を書くにあたり、いろいろなサイトやブログを参考にしています。
順不同で、ご紹介します。
http://yaplog.jp/komawari/archive/501
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こちらのブログには、2004年1月25日 (日曜日)の写真があります。
火事になる前の西口商店街がわかる、唯一の写真です。
http://blogs.yahoo.co.jp/momospin/52636927.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bluestars_original/21064925.html
http://yamiichiyokocho.cho-chin.com/mizonokuchi.html
http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/49903193.html
こちらのブログでは、この商店街が用水路の上に建っていた事がよくわかる写真が掲載されています。
http://arizo02.exblog.jp/2527386/
http://170times.jp/ate/archive/2007/03/28.php
http://hayashida.jp/o/2007/02/post-1023.html
http://www.geocities.jp/hxjbm664/mizonokuti/mizonokuti.htm
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昔への旅 溝の口西口商店街 [駅]
ここが西口商店街の入り口のひとつです。
振り返ると、大山街道の踏切です。
まずは、いきなり、こんな光景です。
右側の仕切りは、塩ビ波板です。
トタンでないので、採光はバッチリです。
というよりか、ここは西向きなので、西日が強いです。
左手にあるのは、開店前の立ち飲み屋です。ホッピーの看板が輝いています。
テーブルの足は、ビールケースです。
この先を進むと、懐かしい看板が見えてきました。
和菓子の玉川堂です。
昔は、ここで、甘辛の団子やあんこの団子、大福、いなり寿司、おにぎりなどを買いました。
アーケードの天井には、大きな看板があります。
右手には、南武線の線路が見えます。
2重に見えていた歩道橋は、一部は駐輪場への通路でした。
茶色の通路が、南武線の跨線橋になっています。
ここがかつて、歩行者用の踏切があった場所です。
階段のみが残っています。
丁度、この方向に踏切がありました。
かつて、帽子屋、電気屋、菓子屋があった場所は、空きスペースになっていました。
しかし、この店は健在でした。
「肉の津久波」です。
揚げたてのコロッケは、とてもおいしいです。
看板の一部が欠けています。
かつて、肉の津久波の前には、帽子屋、電気屋がありました。
確か、この辺りもアーケードがあり、当時は日光は当たっていなかったはずです。
そして、溝の口駅の西口方面を見ると、何やら、怪しい物体が見えます。
これは一体、何?
次回に続きます。
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振り返ると、大山街道の踏切です。
まずは、いきなり、こんな光景です。
右側の仕切りは、塩ビ波板です。
トタンでないので、採光はバッチリです。
というよりか、ここは西向きなので、西日が強いです。
左手にあるのは、開店前の立ち飲み屋です。ホッピーの看板が輝いています。
テーブルの足は、ビールケースです。
この先を進むと、懐かしい看板が見えてきました。
和菓子の玉川堂です。
昔は、ここで、甘辛の団子やあんこの団子、大福、いなり寿司、おにぎりなどを買いました。
アーケードの天井には、大きな看板があります。
右手には、南武線の線路が見えます。
2重に見えていた歩道橋は、一部は駐輪場への通路でした。
茶色の通路が、南武線の跨線橋になっています。
ここがかつて、歩行者用の踏切があった場所です。
階段のみが残っています。
丁度、この方向に踏切がありました。
かつて、帽子屋、電気屋、菓子屋があった場所は、空きスペースになっていました。
しかし、この店は健在でした。
「肉の津久波」です。
揚げたてのコロッケは、とてもおいしいです。
看板の一部が欠けています。
かつて、肉の津久波の前には、帽子屋、電気屋がありました。
確か、この辺りもアーケードがあり、当時は日光は当たっていなかったはずです。
そして、溝の口駅の西口方面を見ると、何やら、怪しい物体が見えます。
これは一体、何?
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昔への旅 溝の口駅西口へ [駅]
溝の口駅南口から、西口商店街を目指します。
と、いきなり、異様な光景が・・・。
ぱっと見た所、歩道橋が2重構造になっている様に見えます。
しかも、下の階段は、左右に延びていて、どちらに行ったいいのかもわかりません。
多分、南武線をオーバークロスしていたのは、右手の階段を登った先だったと思いますが、
よくわかりません。
階段の下から向こうをのぞいてみると、
「溝の口西口商店街」の看板が見えます。
かつては、この辺りに、向こう側に渡る為に、歩行者用の小さな踏切がありました。
そして、すぐ側には、汚く、かつ、臭いドブ川が流れていました。
その匂いは、強烈なものでしたが、そのドブ川は長い間放置されていて、一向に改善される気配がありませんでした。
また、この踏切は、午前と午後の2回、15分以上「開かずの踏切」となりました。
その頃は、武蔵溝ノ口では、貨物の扱いがおこなれていて、駅の南側には、貨車が停車していました。
現在の南口の降り口辺りは、貨物用のターミナルになっていて、ここで貨物の積み降ろしが行われていました。
確か、道路の向かい側には、日通の事務所もあったと思います。
私の記憶が確かならば、その時間は、10時と15時だったと思います。
その時間になると、ED16の牽引する貨物列車がやってきて、
引き込み線に貨物を押し込み、別の引き込み線から貨物を引っ張りだしてと、
入替作業を行っていました。
その間、この歩行者用の踏切は、閉まったままでした。
入替作業を目の前で見られるので、少ない鉄道ファンには嬉しい事ですが、
その他の人々には、はた迷惑な話です。
中には、待ちきれずに、踏切を無理矢理渡る人もいました。
この入替作業は、随分続いていた様で、その為、西口へ渡る為の歩道橋が架けられましたが、
この踏切自体は、その後も長い間残っていました。
そして、いつの間にか閉鎖されてしまっていた。
さて、西口を目指す際に、もう一つ見ておきたかった場所を通る事にしました。
それは、大山街道の踏切です。
大山街道は、国道246号線の旧道で、片側1車線の細い道です。
新道が出来る前は、二子橋を田園都市線と一緒に渡ると、二子新地、高津と田園都市線とほぼ平行に走り、府中街道を横切り、その後、南武線の踏切にぶつかります。
この踏切を超えると、片町を抜けて、カーブしながら坂を登って梶ヶ谷へ抜けるルートでした。
新道の完成により、溝の口を通過する車は、ほとんどが新道を通る事になり、
交通量は減ったはずでしたが、それ以前から、バスや自動車の交通量が多く、
このルートは、いつも渋滞していました。
こちらが、現在の踏切の様子です。
相変わらず、道幅は狭く、歩行者用の通路もありません。
かつて、この踏切には、踏切番がいて、電車が通過するたびに、遮断機を上げ下げしていました。
しかも、電車が通過する前には、窓から手だけ出して、旗を振りました。
恐らく、「進行OK」の合図なのでしょうが、
誰が見ても、ろくに確認もしておらず、ただ単に、面倒くさそうに旗を振っている様に見ました。
唯一の活躍の場面は、先ほどの貨物の入替の時間です。
この時は、遮断機を下げっぱなしでは、申し訳ないと思うのか、タイミングを見計らって、
歩行者が通れる高さに、少しだけ遮断機を上げてくれる事もありました。
その踏み切り番の小屋があったのは、写真の左手の場所でした。
小屋と行っても、結構立派な作りで、そこで生活出来る様な広さでした。
実際、交代要員などもいるので、常に2、3名は居たのではないでしょうか。
さて、この踏切からも漸く、西口商店街が見えてきました。
そしてこちらが、貨物の入替で使用されていた、ポイントです。
立川方面からの列車は、このポイントを直進しますので、今は使われる事はありません。
唯一の使い道としては、溝の口での折り返し運転を行う場合ですが、
通常、立川方面からは、川崎行しかないので、まず使われる事はないと思います。
漸く、西口商店街の入り口に到着しました。
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と、いきなり、異様な光景が・・・。
ぱっと見た所、歩道橋が2重構造になっている様に見えます。
しかも、下の階段は、左右に延びていて、どちらに行ったいいのかもわかりません。
多分、南武線をオーバークロスしていたのは、右手の階段を登った先だったと思いますが、
よくわかりません。
階段の下から向こうをのぞいてみると、
「溝の口西口商店街」の看板が見えます。
かつては、この辺りに、向こう側に渡る為に、歩行者用の小さな踏切がありました。
そして、すぐ側には、汚く、かつ、臭いドブ川が流れていました。
その匂いは、強烈なものでしたが、そのドブ川は長い間放置されていて、一向に改善される気配がありませんでした。
また、この踏切は、午前と午後の2回、15分以上「開かずの踏切」となりました。
その頃は、武蔵溝ノ口では、貨物の扱いがおこなれていて、駅の南側には、貨車が停車していました。
現在の南口の降り口辺りは、貨物用のターミナルになっていて、ここで貨物の積み降ろしが行われていました。
確か、道路の向かい側には、日通の事務所もあったと思います。
私の記憶が確かならば、その時間は、10時と15時だったと思います。
その時間になると、ED16の牽引する貨物列車がやってきて、
引き込み線に貨物を押し込み、別の引き込み線から貨物を引っ張りだしてと、
入替作業を行っていました。
その間、この歩行者用の踏切は、閉まったままでした。
入替作業を目の前で見られるので、少ない鉄道ファンには嬉しい事ですが、
その他の人々には、はた迷惑な話です。
中には、待ちきれずに、踏切を無理矢理渡る人もいました。
この入替作業は、随分続いていた様で、その為、西口へ渡る為の歩道橋が架けられましたが、
この踏切自体は、その後も長い間残っていました。
そして、いつの間にか閉鎖されてしまっていた。
さて、西口を目指す際に、もう一つ見ておきたかった場所を通る事にしました。
それは、大山街道の踏切です。
大山街道は、国道246号線の旧道で、片側1車線の細い道です。
新道が出来る前は、二子橋を田園都市線と一緒に渡ると、二子新地、高津と田園都市線とほぼ平行に走り、府中街道を横切り、その後、南武線の踏切にぶつかります。
この踏切を超えると、片町を抜けて、カーブしながら坂を登って梶ヶ谷へ抜けるルートでした。
新道の完成により、溝の口を通過する車は、ほとんどが新道を通る事になり、
交通量は減ったはずでしたが、それ以前から、バスや自動車の交通量が多く、
このルートは、いつも渋滞していました。
こちらが、現在の踏切の様子です。
相変わらず、道幅は狭く、歩行者用の通路もありません。
かつて、この踏切には、踏切番がいて、電車が通過するたびに、遮断機を上げ下げしていました。
しかも、電車が通過する前には、窓から手だけ出して、旗を振りました。
恐らく、「進行OK」の合図なのでしょうが、
誰が見ても、ろくに確認もしておらず、ただ単に、面倒くさそうに旗を振っている様に見ました。
唯一の活躍の場面は、先ほどの貨物の入替の時間です。
この時は、遮断機を下げっぱなしでは、申し訳ないと思うのか、タイミングを見計らって、
歩行者が通れる高さに、少しだけ遮断機を上げてくれる事もありました。
その踏み切り番の小屋があったのは、写真の左手の場所でした。
小屋と行っても、結構立派な作りで、そこで生活出来る様な広さでした。
実際、交代要員などもいるので、常に2、3名は居たのではないでしょうか。
さて、この踏切からも漸く、西口商店街が見えてきました。
そしてこちらが、貨物の入替で使用されていた、ポイントです。
立川方面からの列車は、このポイントを直進しますので、今は使われる事はありません。
唯一の使い道としては、溝の口での折り返し運転を行う場合ですが、
通常、立川方面からは、川崎行しかないので、まず使われる事はないと思います。
漸く、西口商店街の入り口に到着しました。
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昔への旅 溝の口を目指す編 [駅]
さて、柿生駅からバスに乗り、とあるバス停でおり、目的地に着きました。
その後、本日の目的を果たして、どうしようかと迷いました。
私の中で選択肢は、3つありました。
1.来た道を戻る。
バスで柿生に出て、小田急、南武線、武蔵野線経由で帰宅する。
2.折角なので、通った事のない、ルートを通る。
バスでたまプラーザに出て、田園都市線経由で帰宅する。
3.折角なので、かつての通学路を通る。
バスで溝の口駅にでて、南武線経由で帰宅する。
そして、バスの時刻表を見ると、30分に1本しかないバスに間に合いそうです。
という事で、かつての通学路を通って、溝の口を目指す事にしました。
やってきたのは、「王禅寺口」のバス停です。
ここは、川崎市営バスと東急バスが通っています。
今回、利用するのは、川崎市営バスです。
時刻表によると、溝の口駅南口行きと鷲ヶ峰営業所行きがありますが、
今回、利用する溝17系統のバスは、朝の時間帯でも20分に1本ですが、通常は30分に1本のみです。
この時刻表からも、この路線を利用する人は、あまりいない事がわかります。
というのは、東急バスで、たまプラーザへ行く方が便利だからです。
ちなみに、東急バスは、一番少ない時間帯でも、15分に1本運行されています。
それ以外にも、東急バスは回送も多いようで、その証拠に、
このバス停で市営バスを待つ間に、東急バスは、たまプラーザ行きが1本、回送が2本通過して行きました。
そして、到着予定時刻を5分くらい過ぎて、溝17系統のバスが漸く現れました。
バスに乗り込んでみると、乗客は、10人以下でしたので、これからの長い道のりを考えて椅子に座りました。
というのは、この溝17系統は、柿生駅から溝の口駅南口までを結んでおり、
柿生から通しで乗ると、溝口駅南口まで50分かかります。
今回は、途中の王禅寺口からですので、40分で着く予定です。
しかし、この40分と言うのは、決して遠回りではなく、実は、最短ルートなのです。
柿生経由で溝の口を目指すと、電車の乗車時間だけでも約30分はかかりますので、
これに、王禅寺口から柿生までの移動時間を加算すると、40分を超えてしまうのです。
バスは、ほとんどのバス停で停まりながら、乗客が乗ってきたと思ったら、降りて行ったりと
徐々に乗客を増やしながら、目的地の溝の口を目指します。
そして、向丘出張所のバス停に着く頃には、満員になってしまいました。
そうなると、降りる人がいない限り、バス停には停まる事なく、目的地を目指します。
そして、40分後、満員の乗客を乗せて、バスは溝の口に到着しました。
溝の口駅の駅前には、ホテルが建っています。
こちらが、かつての溝の口駅南口ですが、こちらもきれいに整備されています。
次回から、いよいよ「溝の口探検編」が始まります。
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その後、本日の目的を果たして、どうしようかと迷いました。
私の中で選択肢は、3つありました。
1.来た道を戻る。
バスで柿生に出て、小田急、南武線、武蔵野線経由で帰宅する。
2.折角なので、通った事のない、ルートを通る。
バスでたまプラーザに出て、田園都市線経由で帰宅する。
3.折角なので、かつての通学路を通る。
バスで溝の口駅にでて、南武線経由で帰宅する。
そして、バスの時刻表を見ると、30分に1本しかないバスに間に合いそうです。
という事で、かつての通学路を通って、溝の口を目指す事にしました。
やってきたのは、「王禅寺口」のバス停です。
ここは、川崎市営バスと東急バスが通っています。
今回、利用するのは、川崎市営バスです。
時刻表によると、溝の口駅南口行きと鷲ヶ峰営業所行きがありますが、
今回、利用する溝17系統のバスは、朝の時間帯でも20分に1本ですが、通常は30分に1本のみです。
この時刻表からも、この路線を利用する人は、あまりいない事がわかります。
というのは、東急バスで、たまプラーザへ行く方が便利だからです。
ちなみに、東急バスは、一番少ない時間帯でも、15分に1本運行されています。
それ以外にも、東急バスは回送も多いようで、その証拠に、
このバス停で市営バスを待つ間に、東急バスは、たまプラーザ行きが1本、回送が2本通過して行きました。
そして、到着予定時刻を5分くらい過ぎて、溝17系統のバスが漸く現れました。
バスに乗り込んでみると、乗客は、10人以下でしたので、これからの長い道のりを考えて椅子に座りました。
というのは、この溝17系統は、柿生駅から溝の口駅南口までを結んでおり、
柿生から通しで乗ると、溝口駅南口まで50分かかります。
今回は、途中の王禅寺口からですので、40分で着く予定です。
しかし、この40分と言うのは、決して遠回りではなく、実は、最短ルートなのです。
柿生経由で溝の口を目指すと、電車の乗車時間だけでも約30分はかかりますので、
これに、王禅寺口から柿生までの移動時間を加算すると、40分を超えてしまうのです。
バスは、ほとんどのバス停で停まりながら、乗客が乗ってきたと思ったら、降りて行ったりと
徐々に乗客を増やしながら、目的地の溝の口を目指します。
そして、向丘出張所のバス停に着く頃には、満員になってしまいました。
そうなると、降りる人がいない限り、バス停には停まる事なく、目的地を目指します。
そして、40分後、満員の乗客を乗せて、バスは溝の口に到着しました。
溝の口駅の駅前には、ホテルが建っています。
こちらが、かつての溝の口駅南口ですが、こちらもきれいに整備されています。
次回から、いよいよ「溝の口探検編」が始まります。
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溝の口駅の西口 [駅]
溝の口駅の西口の話です。
地図で確認すると、この辺りです。
この辺りは、戦後の闇市がそのまま残った様な商店が軒を並べる様にひしめいていました。
その中で、若者や学生に人気があったのは、この店「七ふく」です。
立ち食いそば屋ですが、何しろ、量が半端じゃなかった。
普通盛りでも、1人半前くらいあります。
普通のどんぶり自体が大盛りサイズくらいはあります。
さらに、店員のお兄ちゃんが、麺の量を確認してくれます。
もっと食べたい場合には、「もう少し入れて」というと、確実に2〜3人前くらいになります。
その時点で、麺がどんぶりからあふれるくらいになります。
ですから、この店で「大盛」を頼む人は滅多にいませんでした。
私も時々、利用していましたが、麺を追加してもらう事はありませんでした。
いつかまた行きたいと思っていたのですが、
残念ながら、商店街の火事によって、閉店してしまいました。
それでも、西口の商店街は、未だに健在のようで、ネットでも色々な画像が見つかりました。
玉川堂 この店では、団子やお稲荷さんをよく買ったものです。
この店は、前を通るだけでしたが、焼き鳥などをつまみに飲む、立ち飲みの店。
左端の看板「肉の津久波」は、よく、コロッケやメンチを買った店です。
肉屋さんのコロッケやカツは、その場で揚げているので、出来立ては暖かく、
時々は、買ったその場で食べていたりもしました。
溝の口駅西口は、今でも懐かしい場所の一つです。
今日はこの辺で。
地図で確認すると、この辺りです。
この辺りは、戦後の闇市がそのまま残った様な商店が軒を並べる様にひしめいていました。
その中で、若者や学生に人気があったのは、この店「七ふく」です。
立ち食いそば屋ですが、何しろ、量が半端じゃなかった。
普通盛りでも、1人半前くらいあります。
普通のどんぶり自体が大盛りサイズくらいはあります。
さらに、店員のお兄ちゃんが、麺の量を確認してくれます。
もっと食べたい場合には、「もう少し入れて」というと、確実に2〜3人前くらいになります。
その時点で、麺がどんぶりからあふれるくらいになります。
ですから、この店で「大盛」を頼む人は滅多にいませんでした。
私も時々、利用していましたが、麺を追加してもらう事はありませんでした。
いつかまた行きたいと思っていたのですが、
残念ながら、商店街の火事によって、閉店してしまいました。
それでも、西口の商店街は、未だに健在のようで、ネットでも色々な画像が見つかりました。
玉川堂 この店では、団子やお稲荷さんをよく買ったものです。
この店は、前を通るだけでしたが、焼き鳥などをつまみに飲む、立ち飲みの店。
左端の看板「肉の津久波」は、よく、コロッケやメンチを買った店です。
肉屋さんのコロッケやカツは、その場で揚げているので、出来立ては暖かく、
時々は、買ったその場で食べていたりもしました。
溝の口駅西口は、今でも懐かしい場所の一つです。
今日はこの辺で。
溝の口駅の昔 [駅]
昔の画像を探していて、溝の口駅の写真を見つけました。
以前、図書館で借りた本のページです。
こちらの写真は、昭和39年5月の撮影の様です。
当時は、大井町線と言っていたようで、溝の口ー大井町間で運転されていました。
溝の口駅は、木造の1本の島式ホームのみで、折り返し運転を行っていました。
その頃の車両は、黄色と青の車両だった様に記憶しています。
こちらは、随分経ってからの画像で、ホームを4線2面に拡張中の様です。
この頃は、既に、溝の口駅を利用する事もなくなっていたので、あまり馴染みがありません。
私が利用していた頃の最後の記憶にあるのは、2線2面のホームの溝の口駅でした。
溝の口駅の画像を探していて、懐かしいものを見つけましたので、
次回以降にご紹介したいと思います。
恐らく、当時を知らない方には、興味のない話でしょうが・・・。
本日は、この辺で。
以前、図書館で借りた本のページです。
こちらの写真は、昭和39年5月の撮影の様です。
当時は、大井町線と言っていたようで、溝の口ー大井町間で運転されていました。
溝の口駅は、木造の1本の島式ホームのみで、折り返し運転を行っていました。
その頃の車両は、黄色と青の車両だった様に記憶しています。
こちらは、随分経ってからの画像で、ホームを4線2面に拡張中の様です。
この頃は、既に、溝の口駅を利用する事もなくなっていたので、あまり馴染みがありません。
私が利用していた頃の最後の記憶にあるのは、2線2面のホームの溝の口駅でした。
溝の口駅の画像を探していて、懐かしいものを見つけましたので、
次回以降にご紹介したいと思います。
恐らく、当時を知らない方には、興味のない話でしょうが・・・。
本日は、この辺で。
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